2023年08月30日
■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その27)
■九州鉄道 基山驛開業(その1)
きやま創作劇「この道は」を深く知るために、これまでお話しを進めてきました。
結びに、もう一つ。
「第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その10)」で多くの人びとが基肄城へ押し寄せたことを、当時の「基山驛」の田口驛長さんの話として記しておきました。この「基山驛」について少しお伝えしておきましょう。
現在のJR基山駅西口、駅南西側のフェンスの中に、「基山驛記念之碑」が建っているのはご存知でしょうか。この碑の裏面に、基山駅の簡単な年譜が記されています。機会があったらご覧ください。
【基山驛記念之碑】
基山駅開業までの道のりは、明治22年(1889)年に博多~千歳川仮停車場間に九州鉄道によって鉄道事業が始まり、ここ基山も当初、九州鉄道会社側は木山口町に停車場をつくりたいと申し出がありましたが、地主らの反対が強かったことから実現に至らなかったと伝えられています。
しかし大正7年(1918)に木山口信号場が開設されるとともに、木山口商工会(大正3年5月2日創立)が中心となり陳情を開始、大正8年4月18日に基山村発展期成会(会長:久保山重遠氏、副会長:鹿毛良鼎氏・梁井幾太郎氏・中村良造氏)が結成され、この期成会の設立目的として、基山村の発展と木山口停車場の設置が上げられています。この基山駅設置は、大正9年総選挙では基山駅設置に消極的であった大隈重信の憲政会系から積極的に動いてくれた原敬立憲政友会系へ基山の人々の支持が移行するきっかけにもなっています。
そして大正10年(1921)8月5日に「基山驛」が開業します。その後、昭和14年に甘木線が敷設され、鹿児島線と甘木線(その後甘木鉄道へ)が合流する駅として現在に至っています。
きやま創作劇「この道は」を深く知るために、これまでお話しを進めてきました。
結びに、もう一つ。
「第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その10)」で多くの人びとが基肄城へ押し寄せたことを、当時の「基山驛」の田口驛長さんの話として記しておきました。この「基山驛」について少しお伝えしておきましょう。
現在のJR基山駅西口、駅南西側のフェンスの中に、「基山驛記念之碑」が建っているのはご存知でしょうか。この碑の裏面に、基山駅の簡単な年譜が記されています。機会があったらご覧ください。
【基山驛記念之碑】
基山駅開業までの道のりは、明治22年(1889)年に博多~千歳川仮停車場間に九州鉄道によって鉄道事業が始まり、ここ基山も当初、九州鉄道会社側は木山口町に停車場をつくりたいと申し出がありましたが、地主らの反対が強かったことから実現に至らなかったと伝えられています。
しかし大正7年(1918)に木山口信号場が開設されるとともに、木山口商工会(大正3年5月2日創立)が中心となり陳情を開始、大正8年4月18日に基山村発展期成会(会長:久保山重遠氏、副会長:鹿毛良鼎氏・梁井幾太郎氏・中村良造氏)が結成され、この期成会の設立目的として、基山村の発展と木山口停車場の設置が上げられています。この基山駅設置は、大正9年総選挙では基山駅設置に消極的であった大隈重信の憲政会系から積極的に動いてくれた原敬立憲政友会系へ基山の人々の支持が移行するきっかけにもなっています。
そして大正10年(1921)8月5日に「基山驛」が開業します。その後、昭和14年に甘木線が敷設され、鹿児島線と甘木線(その後甘木鉄道へ)が合流する駅として現在に至っています。