2023年08月21日

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その19)

■基山(きざん)にある基肄城が「朝鮮式山城」であること

 『日本書紀』天智天皇4年8月条に記される「大野城及椽二城」の「椽城」が、我が町基山にある基山(きざん)に所在していることは、江戸時代文化9年(1812)写と伝えられる『椽之城 太宰府旧蹟全図 南』において伝わり、その詳細についても、絵図として遺され、早くから知られていたことが分かります。
 この椽(基肄)城が、土塁・石塁、水門、礎石建物群などの構造を持ち、韓半島にある山城跡との構造比較を行った上で「朝鮮式山城」であると認め、かつ『日本書紀』に伝える古代韓半島にあった百済の官人が主導し造営した「椽(基肄)城」であることを学術的に確定した方が、建築史学者であり東京帝国大学の関野貞教授で、大正2年(1913)に発表された『考古学雑誌』第4巻第2号の学術誌に記載されています。

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その19) ■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その19)
■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その19) 【関野・喜田論文抜粋】
出典:国立国会図書館ウェブサイト 2023年8月20日利用 原本写真データを抽出改変

 当時、「神籠石(こうごいし)論争」として知られる、神籠石が山城説と霊域説の論争が盛んだった頃の論文で、基肄城は大宰府の南の守りとして築かれた「朝鮮式山城」の事例として紹介され、霊域説をとる喜田貞吉博士も基肄城が「朝鮮式山城」であると認めておられます。
 ちなみに、神籠石が山城であるとする関野先生の論拠は、①土塁・石塁で囲われていること。②貯水するための谷を一つはもっていること。併せて水門があること。③内部に建物があること。④出入りのための門があることなどをあげておられます。一方、霊域説を主張する喜田先生は、高良山神籠石などで確認される列石は、防御の用をなさず、その上部に柵などが想定しづらいことなどをあげ霊域説を主張されています。

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その19)
【高良山神籠石】

 現在の理解としては、九州大学の鏡山猛先生や岡崎敬先生が行われたおつぼ山神籠石(武雄市)、帯隈山神籠石(佐賀市)の発掘調査成果によって木柵跡等が確認されたことから山城説が定説化しています。

※『太宰府旧蹟全図』は二葉からなり、「北図」が大野城を、「南図」が基肄城を描いています。文化年間に伝承されている地名をはじめ、城内の施設についても記述されており、詳細は、『太宰府市史』環境資料編 付図に「太宰府旧蹟全図 北図(書き起こし)」「太宰府旧蹟全図 南図(書き起こし)」として公開されていますので、ご覧ください。また、『基山町史』資料編に、「太宰府旧蹟全図 南」に関する解説を掲載していますので、併せてご覧ください。
・「太宰府旧蹟全図 北」:個人所蔵  ・「太宰府旧蹟全図 南」:福岡市博物館所蔵
※「朝鮮式山城」:学説史を有する学術用語として記述しています。



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