2023年08月20日

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その18)

■「天智天皇」なんと読む

 今回の劇中で中心的な位置をなす「天智天皇欽仰之碑」は、オール基山、オール佐賀で、基肄城を国の史蹟にするために建造に取り組んだ碑であることをお伝えしてきました。

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その18)
【天智天皇欽仰之碑】

 ここに記された「天智天皇」ですが、「てんちてんのう」「てんぢてんのう」どちら?という問いが発せられます。いったいどちらでしょうか。

 令和5年(2023)の現在、宮内庁がホームページに公開している天皇家の系図によると、「てんじてんのう」です。
 「えっ、「じ」?」と思われた方は、昭和61年以前に歴史を学ばれた方だろうと思います。

 平成24年(2012)度から公演をつづけてきた特別史跡基肄城跡の築造の物語「こころつないで」で、「争いのない世の中を、私も望む」と言った中大兄皇子、即位して天智天皇ですが、天皇の御名をなんと呼称していたのか、日本古代の歴史書である「日本書紀」や、最古の歌集「万葉集」を読み解いても、なかなか記されていません。

 では何故、宮内庁は「てんじてんのう」と呼称しているのか。定かな根拠を知ることはできませんが、江戸時代に記された文献から「智(ぢ)と濁る」と記されていることや、昭和9年(1934)に出された「陵墓要覧 昭和9年11月調」から「天智天皇 山科陵」に「てんぢ」と記されていることなどから、「天智天皇」の読みを「てんぢてんのう」とすることが一般的で、先に記した宮内庁HPに濁音表記されています。

 では、なぜ「てんぢ」じゃなく「てんじ」なのか。
 実は、昭和61年(1986)内閣告示第1号にて「現代仮名遣い」が規定され、「ぢ」は原則として「じ」と表記すると定められましたので、昭和61年以降の出版物では「てんぢてんのう」ではなく「てんじてんのう」と表記されることになったのです。
 
 ところで、きやま創作劇では何と呼称しているのでしょうか。
 正式には「てんじてんのう」と呼称すべきところですが、漢字をイメージしづらいこともあり、意図的に「てんちてんのう」と呼称しています。

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その18) ■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その18)
【令和元年「こころつないで」の劇中における天智天皇】

 「天皇」自体も、正式には「すめらみこと」、「大宰府」も「おおみこともちのつかさ」と呼称すべきなのかもしれませんが、セリフとして発した時、お客様方の理解が進まない事態となりますので、現代的に「てんのう」「だざいふ」と呼称しています。



同じカテゴリー(参画事業)の記事画像
■令和5年度歴史散歩開催
■第7回きやま創作劇「むすび」の会
■「第15回きやま展」展示替え
■歴史散歩現地研修
■第7回きやま創作劇『この道は』公演迫る!
■第2回文化遺産調査
同じカテゴリー(参画事業)の記事
 ■令和5年度歴史散歩開催 (2024-03-02 13:57)
 ■第7回きやま創作劇「むすび」の会 (2023-12-27 21:38)
 ■「第15回きやま展」展示替え (2023-12-19 19:00)
 ■歴史散歩現地研修 (2023-12-18 18:48)
 ■第7回きやま創作劇『この道は』公演迫る! (2023-12-08 06:49)
 ■第2回文化遺産調査 (2023-09-29 09:02)

Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 12:37 │Comments(0)参画事業基山の文化遺産関連する文化遺産

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。