2022年12月11日

■第6回きやま創作劇『枯松二国境物語』

 本日、第6回きやま創作劇『枯松二国境物語』公演を迎えました。

 今回も町内外を問わず、多くの方々に御出でいただきました。
 心より、心より深く感謝申し上げます。

【開場前の様子】


 キャスト、スタッフ、皆、全力を振り絞り、午前の公演をやり遂げることができました。これも、御出でいただいた多くの皆さまのお力添えあってのことです。一つひとつの積み上げ、公演の日が近づくにつれ、大道具、小道具、音響、照明と様々な人びとの力が結集し、結びに観客の皆さまの「力」が加わって、きやま創作劇が完成するのだということを感じる今回の公演でした。

【劇中の場面】


【受付を支えていただいた皆さま】


 ありがとうございました。

 また一つ物語を、我が町きやまに重ねることができました。
 
 一歩いっぽ、そして一つひとつを重ねる「きやま創作劇」です。
 今日のこの日に至る思い、そして「今」の思いを胸に、次へ進みましょう!

 皆さん、本当に、ほんとうに心から「ありがとう!」


※午後の部を諸事あってやむを得ず中止にいたしました。午後の部へお越しいただいた皆さま、この場をお借りして、深く深くお詫び申し上げます。
私たちが、次への歩みを進めることで、お許しいただきたく、心よりお願い申し上げます。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 19:35Comments(0)参画事業

2022年12月10日

■いよいよ、始まり、はじま〜〜〜り〜〜っ!

 紆余曲折、今回も様々な物語を重ね、第6回きやま創作劇『枯松二国境物語』が公演の日を迎えます。

 関係していただいた皆さまの、汗と涙と、そして技の「結晶」として、公演を御覧ください。
 
 公演のこの日に「参加」できなかった仲間も、これまで参画していただいた、そしてみんなと共有した時間をしっかり記憶し、次へのエネルギーとしてください。

 さあ本番を迎えます。
 持てる力と技を舞台に出し切り、明日のこの時、この時間を「充実した時」として迎えましょう!

 「参加」できなかった仲間の分も、全力を出し切って!


【今日の総練習後のお話しの様子】
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 22:05Comments(0)参画事業

2022年12月10日

■『枯松二国境物語』をふか〜く知る(その5)

 もう一つ、行政制度として国境争論で忘れてはならないのが、「訴訟制度」の完成度です。

 梁井家に残されている争論関係資料群は、①当初図、②測量図、③修正図、④最終提出図など手順を踏んだ図面と証文が残されています(基山町、2009)。


①当初図


②測量図
【梁井家資料からイラスト化】紙芝居「枯松二国境物語」より


【物語の舞台(三国境・二国境)】西側より望む

【三国境に今も建つ三国境石標】

 これも「公儀」に対する説明資料として作成されたもので、江戸時代の訴訟制度の完成度を見ることができます。視点を変えると、これら訴訟に耐える行政資料を、村の庄屋階層が作成していることを見逃してはいけません。それだけ識字のみならず測量、製図技術、物事を思考し論理立てて事を進める能力とともに、難解な行政資料作成を担える能力が農民階層まで到達していたことを物語っています。これらを可能にしたのも、階層の分離、行政制度の固定と安定がもたらした結果だと言えます。

 枯松二国境の物語は、これら全てを表現する物語で、劇中にそれらを表現することが求められますが、きやま創作劇「枯松二国境物語」は、これらが各所にちりばめられており、江戸時代後期の社会情勢を知ることができる物語になっています。

 この「分離」と「固定」と「安定」がもたらした江戸時代も、次第に「安定」を貪る武士たちへの不満の発露としての農民たちによる「打ちこわし」、産業革命をいち早く成し遂げた西欧列強による度重なる開港要求など、国内外からの揺さぶりによって幕藩体制は崩壊へと導かれ、時代の流れは第3回きやま創作劇『草莽の民』で描いた激動の明治維新へとつながっていくのです。


【第3回きやま創作劇『草莽の民』】冒頭映像より

【引用文献(梁井家資料について掲載)】
基山町(2009)『基山町史 下巻』pp.164-167に掲載
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 09:34Comments(0)参画事業基山の文化遺産

2022年12月07日

■『枯松二国境物語』をふか〜く知る(余談)

 昨日の「『枯松二国境物語』をふかーく知る(その4)」の中で、「美鈴の「絶対」的権力」と表現しました。

 「権力」者の存在そのものに「権力」が備わっているかのような「絶対的」という権力者は、この世の中に存在せず、鏡や自分以外の他者の存在から自らの存在や姿を見たり知ったりすることができるのと同様に、「権力」者として見てくれる、また従ってくれる人々の存在があって初めて、「権力」者は存在するものです。となれば、「絶対的」という表現は本来不適切な表現です。

 前回用いた「絶対的権力」は、「公儀」という近世・江戸時代の日本において地域を超越した「絶対的」権力を後ろ盾として、美鈴は悪を成敗し「お裁き」を下すことになり、その表現として用いています。



【特別史跡江戸城跡(現在の皇居)】

 権力者というものは、他者がいてはじめて成立するものであるならば、現在、世界を恐怖の中に陥れている外国の指導者たちも、国民や「取り巻き」の人々に見放されてしまうと、ただの人になってしまうということです。

 ・・・・余談でした。  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 20:24Comments(0)関連する文化遺産

2022年12月06日

■『枯松二国境物語』をふか〜く知る(その4)

●行政制度

 次に、行政制度です。
 この行政制度の「固定」と「安定」を物語る役どころが劇中に設定されています。

 争論を裁く「公儀」の存在で、劇中に公儀隠密としての「美鈴」や公儀の意志を伝える地域の調整役としての「御境目掛」を登場させているところは、この「公儀」の存在を明確に取り入れている点で、歴史性をよく表現できていると言えます。


【村の取りまとめ役である庄屋階層による争論】
(紙芝居『枯松二国境物語』より)


【地域の調整役であるとともに「公儀」の意志を伝える御境目掛】
(紙芝居『枯松二国境物語』より)

 また「公儀」と「村」の役割が劇中で表現されていますが、これも行政制度の各階層の分離による階層化、行政制度を当たり前のように認識していた結果であり、地域の調整役としての「御境目掛」と「美鈴」が持つ「公儀」の「絶対」的権力を認識させ得た点も、「固定」と「安定」の表現として捉えられます。

 そしてもう一つ、行政制度として国境争論で忘れてはならないのが、「訴訟制度」の完成度です。

 それは、次に語りましょう・・・(つづく)
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 20:22Comments(0)参画事業基山の文化遺産

2022年12月05日

■『枯松二国境物語』をふか〜く知る(その3)

●領地
 次に領地の分離が、豊臣秀吉による領土の生産量(石高)見積施策とでもいえる検地によって領地の境界が明らかにされ、江戸幕府(公儀)によって明確に区分けされていきます。


【二国境(三国境交差点)の今】


【国道3号の下に保存された「国境」】

 それまで共有地であった土地が、「国」という境によって分断されていくことになります。それがいつしか「固定」的となり、かつ時間の経過とともに「安定」した領土として認識されていきます。

 劇中で「おもと」さんが「何故争わなきゃならんのか。」と問います。このような争いは公儀(江戸幕府評定所)の記録に残るだけで、1500件ほどが残されています(鳴海、2002)。一方で、公儀による裁断を受けても、共有地であったために裁断を無視した所業も丹波桑田郡田能村と出灰村の争論として記録されているようです。地域の人々にとっては互いに助け合い、使える土地が、「公儀」による分断によって生じた争論であったと言えます(水本、1985)。

 何故、皆、国境を破ってでも土地が必要なのか。現代人には理解し難いところですが、「草山(飼葉【牛馬の飼育のための草】)」「柴山(燃料材としての薪)」「萱山(屋根材)」と呼称されるように、生活維持のために野山は必要だったのです。

【引用文献】
水本邦彦(1985)「村共同体と村支配」『講座日本歴史 5近世1』東京大学出版会pp.117-150
鳴海邦匡(2002)「近世山論絵図の定義と分類試論」『歴史地理学』44-3 pp.1-21
  


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2022年12月04日

■第6回きやま創作劇『枯松二国境物語』通し練習

 本日、第6回きやま創作劇『枯松二国境物語』の通し練習が行われました。


●練習後の注意点についての指導の様子(通称「ダメ出し」)

 
 次第に、脚本から配役、大道具・小道具、衣装、そしてキャストのメイク・衣装を着ての演劇へと、一つひとつ全貌が明らかになっていく姿を見るにつけ、今年も、ここまで来たという感謝の思いを抱きます。参画していただいている多くの皆さまの汗と、そして時には「涙」の結晶が、もうすぐ結実します。

 あと残すところ1週間です、1週間後には参画していただいている多くの皆さまとともに、そして結びの舞台の参画者である観覧のお客様を加えて、全ての舞台が整います。

 あとは、舞台に立つキャスト、それを支えるスタッフが力を出し切り、そして観覧していただく皆さまの全ての力を結集し、12月11日の舞台は始まります。

 参画していただいている皆さま、誰一人欠けることなく(一人ひとりはみんなのために、みんなは一人ひとりのために)、そして全力を出しきれるよう、日々の生活を整えてくださることをお忘れなく。

 では、残った時間にベストを尽くしましょう!
   


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2022年12月04日

■『枯松二国境物語』をふか〜く知る(その2)

●身分(階層)

 江戸時代に入り武士と商業者、農業従事者など社会分業制が明確になり、「身分」の分離と安定化が図られていきます。

 いつの頃からか、NHK大河ドラマに描かれる戦国時代の武将が置かれた社会的立場の描き方に差があることに気付かれているでしょうか。
 80年代より前は、馬上に乗る「お殿様(領主)」と平伏す民衆という構図で描かれていましたが、それ以降では、馬上に乗る領主と、それを眺める農民・民衆、共に農民と農作業をする領主という描き方に変わってきています。

 これは、歴史研究の進展によって、戦国時代までは未だ「身分」の固定がなかったことをドラマとして描くようになってきたということを物語っています。その際たる人物が羽柴秀吉、後の豊臣秀吉であり、先祖は武人の出自を持ちながら油売り商人から身を起こし戦国武将になった斎藤道三など、武人としての階層の流動性を物語っています。


戦国時代 考証 香川元太郎 2002年 あすなろ書房 『衣食住に見る日本人の歴史 3』より

 これが、江戸幕府開府とともに、将軍家を頂点とする階層構造をつくらんとする徳川家康の施策によって、階層の固定化が図られることになってきます。
 その結果、それぞれの階層が固定され、かつ社会発展の結果、江戸幕府によって形づくられた階層が、いつしか「当たり前」となり、安定的な営みが形成されていくことになり、戦国時代は武士によって国境が争われていたものが、「枯松二国境物語」のように農業従事者(庄屋階層)が国境争論の主役として登場することになっていくのです。

■NHK大河ドラマ 
●1995年〜1996年 秀吉 第1回放送映像
「織田信長の行軍を見る農民階層(その中の一人として秀吉が描かれています)が立って見送っています。」
●2020年〜2021年 麒麟が来る 第1回放送映像
「農民階層とともに明智光秀が作業を行っています。」
  


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