2014年05月31日

平成26年度 総会

 本日、平成26年度基山の歴史と文化を語り継ぐ会の総会が開催されました。新たな会員4名を迎え、基山の歴史と文化を語り継いでいくことの意思について、園木会長の当会設立趣意「町民のできることを持ち寄って、無理せず、驕らず、依存せずにつくり上げていきたい。」を再確認することから始まりました。




 総会では、昨年度の事業実施報告についで、今年度の事業実施計画案が諮られました。
 昨年度は、自主事業、協働事業併せて5つの事業を展開し、新たに図書館との協働事業として郷土史読本『発見きやまの歴史1 基肄城のヒミツ』の発刊および朗読会、語り継ぐ会講話会等について報告がありました。
 続いて、今年度の事業計画案が示され、第3回創作劇『こころつないで』への共催をはじめ、第6回「きやま」展、基肄城跡1350年祭にむけた各種取り組みへの参画、さらには語り継ぐ会講話会開催などが諮られ、出席会員の賛同を得、承認されました。




 その中で、基肄城跡築城1350年祭にむけた取り組みでは、
●名称に付く「祭」と「事業」では、住民側にとって参画意識に差が生じる。「祭」として大きく広報すべきという意見とともに、町内で行われる各種イベントへの広報活動としての参画の必要性が説かれています。
●併せて、一刻も早い「基肄城跡築城1350年祭」実行委員会の結成と、第1回実行委員会の開催が求められ、官民協働として実現に向けた取り組みの始動への意欲的な発言も飛び出しています。

 ところで、来年「基肄城跡築城1350年祭」と同時開催される古代山城サミットは、本来まちおこしとして福岡県大野城市で「火」がついたにも関わらず、行政主導で、役場の一イベントで留めてもいいのでしょうか。

 わが基山町は、小さな町です。しかし、基山にはどこにもない個性豊かな素材がたくさんあります。


 

 そして、福岡都市圏から快速電車で25分圏内という、都会に寄り添う「いなか」です。身近な「いなか」を体感してもらい、深く長い歴史を味わっていただく、最もよい機会です。




 小さな町には、小さな町なりのできることがたくさんあります。「小さな町」だから「これぐらいでいい」と妥協したような考えでは、とても残念です。




 小さい町だからこそ、人とひととがつながり、基山にしかできない「お・も・て・な・し」をしたいものです。




 皆で悩み、できることを持ち寄って、きやまんもん(基山の者)にしかできない「お・も・て・な・し」をしましょう。  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 19:05Comments(0)活動・報告日記

2014年05月31日

第3回創作劇 『こころつないで』 始動!

 去る、5月29日(木)に、第3回創作劇『こころつないで 基肄城に秘められたおもい』公演にむけた第1回実行委員会が開催されました。


■実行委員会の様子

 今回も、基山町の小中学校が主催となり、当会をはじめ多くの町民ボランティアスタッフとの協働で進めることが確認されました。
 公演日は、これまでどおり平成26年12月14日(日)に開催される「ふれあいフェスタ」に併せ、2回公演も確認されました。


■第1回公演の一場面【齊明天皇は決意した!】

 今年は、基肄城跡築城1350年の前年にあたり、来年の「基肄城築城1350年祭」に向けた新たな物語が積み重なるようです。

 今年の参画してくれる子どもたちは、どんな「歴史(経験)」を物語りとして一つ積み重ねてくれるでしょうか。


■昨年開催した第2回公演のポスター

■お知らせ
 来る6月10日(火)に、第3回創作劇『こころつないで 基肄城に秘められたおもい』に参画したい子どもたち、保護者むけの説明会が行われます。詳しくは、基山中学校、基山小学校、若基小学校からの連絡をお待ちください。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 13:39Comments(0)主催・共催事業

2014年05月18日

大阪狭山キジムナーの会の方々と交流

 大阪府大阪狭山市には、出土した木材から飛鳥時代に築造されたとされる狭山池があります。

 狭山池に残る龍神伝説を素材に、戦前の沖縄の少女「ナミ」との出会いを通して得た思いを伝えるミュージカル、「新龍神伝説 風の声がきこえる」。
 この公演を9年間支えてこられたお二人と、本日情報交換を行いました。
 公演をきっかけに、子ども達のつながりの芽生えと成長、それを見守るおとな達の葛藤と喜びについて貴重なお話を伺うことができました。




 基山の歴史と文化を語り継ぐ会では、2年前から創作劇「こころつないで 基肄城に秘められたおもい」の上演に参画し、わずか2回の公演ですが、子ども達のつながりや成長、それを見守るおとな達の成長を感じ、相通じる思いを抱くとともに、私たちが子ども達と取り組んでいる創作劇の方向性に間違いはないという、ほのかな確信を得ることができました。
 今後は、「新龍神伝説 風の声がきこえる」を主宰される大阪狭山キジムナーの会の方々と交流を深め、私たちにとり先達として、その御経験に基づいたご支援を賜りたいと思いました。

 8月に大阪狭山キジムナーの会の方々が主役となって基山町で公演が予定されています。実行委員会の方々のご努力に敬意を表します。当会は参画できませんが、基山の、そして大阪狭山の子ども達、皆の良い刺激になることを心から祈ります。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 21:01Comments(0)活動・報告日記

2014年05月08日

猿田彦大神様

 「契山」で紹介した「邇邇芸命(ににぎのみこと)様」が天から降臨される際に、地上へ導かれた方が、そう今回ご紹介する「猿田毘古神」こと猿田彦大神様です。

 太陽神である天照大御神の孫として地上に使わされた邇邇芸命様を、地上に導くべく待っていたのが猿田彦大神様で、邇邇芸命様が尋ねれば、「天つ御子を先導すべく待っていた。」と言う。そのお姿は、眼を見開き、鼻長七咫(一咫≒親指と中指とを広げた長さ)、背丈七尺」という巨大な天狗のようであったと『古事記』に記されています。

 皆さんも猿田毘古神様こと、猿田彦大神様に会われたことがありますよね・・・。

 えっ、会われたことがない。


■基山町野口の宗天神社にある「猿田彦大神」碑

 道端によくみる「猿田彦大神」碑は、見られたことがありませんか。この大神碑があるところの多くは、旧街道をはじめとする旧道と考えていただいても大過ありません(たまに、意味が失われ移転されているものもありますので、ご注意ください)。
 その由来は、『古事記』に記されている、天孫「邇邇芸命(ににぎのみこと)様」を地上に導かれた神様が、旅の安全を見守り導いてくださる神様に変じ、道しるべの神様と理解されたのです。

 実際のお姿にも会われたことはありませんか。

・・・・・・?

 えっ・・・。荒穂神社の御神幸祭などで、御輿の先導役として赤顔の「天狗」のようなお顔の面と青顔の「天狗」様のお顔の面が歩いているお姿を見かけたことはありませんか。そう、この「天狗」の様なお顔が、「眼を見開き、鼻長七咫(一咫≒親指と中指とを広げた長さ)、背丈七尺」という巨大な天狗」のお姿をもつ猿田彦大神様なのです。


■荒穂神社の猿田彦大神様


■お面の内側に「猿田彦大神」の銘が

 基山で秋行われる荒穂神社の御幸祭りの際に、荒穂の神様である邇邇芸命(ににぎのみこと)様を先導されるのが、『古事記』さながらの猿田彦大神様です。
 お宮の神殿にも飾られている神社があるので、そういう目で御覧になっては如何でしょうか。

 猿田彦大神様は、人生の選択の道しるべにもなってくださるかもしれませんね・・・。

 次回は、猿田彦大神さまとよく間違われる「庚申尊天」碑の話をしましょう。


■基山町白坂に建つ「猿田彦大神」碑と「庚申尊天」碑  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 21:04Comments(0)基山の文化遺産

2014年05月06日

「契山(ちぎりやま)」の物語

 基山(きざん)の西に、標高408mの「契山」という山があります。この契山には、実は基山(きやま)に住む人びとと神さまとの絆の物語が残されているのです。
 「天孫ニニギの降臨」として知られる邇邇芸命(ににぎのみこと)様と妻として迎えられる木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)様との結婚にまつわる物語です。
 邇邇芸命様は、そう御幸祭りで知られ式内社である荒穂神社の御祭神で、基山の人びとを愛し、基山の人びとに農耕の手ほどきをされたという言い伝えが残されている神様です。このご恩に感謝すべく、あるとき基山の人びとは邇邇芸命様にお嫁さんを探すことにしたのです。
 基山(きざん)の西の山々の最初の谷に、山の神である大山祗(大山津見 おおやまづみ)の神様がおられ、その神様のお嬢様に梅や桜の花よりも美しい木花之佐久夜毘売(木花咲耶姫)様がおられました。そこで基山の人びとは、この木花咲耶姫様をお嫁さんにお迎えしては如何ですかという願いを、邇邇芸命様に対し、毎日毎日、多くの人びとがしました。その願いを邇邇芸命様は聞き入れます。それを聞いた基山の人びとは大喜びで、木花咲耶姫様の父である大山祗様にお願いに行き、ついに聞き届けていただいたのです。
 お二人の契りの儀式(結婚式)が行われ、基山の人びとが幾日もお祝いをしたと伝えられる山が、この「契山」なのです。

 この契山を挟んで、東には邇邇芸命様をお祀りする荒穂神社が、西の谷、古屋敷には木花咲耶姫様をお祀りする古屋敷の山神社が、さらに西側の柿原には木花咲耶姫様の父であり山の神様である大山祗様をお祀りする柿原の山神社があります。


■「邇邇芸命様」を祀る荒穂神社


■「木花之佐久夜毘売(木花咲耶姫)様」を祀る古屋敷の山神社


■「大山祗(大山津見 おおやまづみ)の神様」を祀る柿原の山神社

 日本最古の歴史書である『古事記』に記される天孫降臨神話の世界と、基山の人びとが結びついた昔話です。その神々が今も基山の地域で祀られていることに、基山の歴史の深さをあらためて知ることができますね。


  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 13:41Comments(0)基山の文化遺産

2014年05月03日

■基肄城のお話 その1

 基山駅から北西にそびえる基山(きざん)には、国の宝である特別史跡基肄城跡が鎮座しています。

 今年は、この基肄城が築かれて1349年目の年にあたります。そう、基肄城築城の前年には、太宰府(大宰府)にある水城が築かれており、特別史跡水城跡築城1350年の年にあたります。


 ●雪の基山(きざん)
 【近年は、あまり見ることができなくなりました。】

 素朴な疑問。「何故、基肄城や水城が築かれて1350年ということが分かるの??」

 それは、今から1300年ほど前、養老四(西暦720)年に編まれた国史、国の成り立ちを記した書物『日本書紀』に記されています。

 『日本書紀』天智天皇三(西暦664)年の条に「是歳、対馬嶋、壱岐嶋、筑紫国等に、防(さきもり)と烽(とぶひ)とを置く。又筑紫に、大堤を築きて水を貯へしむ。名けて水城と曰ふ。」と記されています。では、基肄城はというと、同じく『日本書紀』天智天皇四(西暦665)年秋八月の条に「達率憶礼福留、達率四比福夫を筑紫に遣して、大野及び椽、二城を築かしむ。」と記されています。太宰府(大宰府)の北にある四王寺山、ここに鎮座する特別史跡大野城跡のことは「大野」という記述に見えますが、どこにも「基肄城」の文字が出てきませんね。よく見てください、「大野」のあとに「椽」という文字があります。読みは「たるき」とも読みますが、「き」とも読みます。椽城で「きのき」、後に二字標記が用いられるようになり、「きのき」が変じて「きいのき」となり「基肄城」という字が用いられるようになりました。文武天皇二(西暦692)年の条には「基肄城」として記され修理された記事が出てきます。

 この記事から、もうひとつ、「秋八月」の条に「築かしむ」ですから、旧暦の八月といえば、今の九月頃に築かれたことになります。来年の九月には、我が町の宝である基肄城跡が築かれて1350年を迎えます。今年から、関係する市や町で各種イベントが行われます。この機会に、我が町の宝、基山(きざん)にある基肄城を知ってください。




 これで、基山(きざん)山頂にある、特別史跡基肄城跡の碑に「椽」の文字がある理由も分かりますね。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 05:49Comments(0)基山の文化遺産