2012年05月02日

「長崎街道」

 基山町を南北に縦断する長崎街道は、近世から近代まで多くのモノ・人・情報が行き来した道として、よく知られています。現在は、所々途切れつつも、国道3号線、JR鹿児島線の傍に隠れながら、昔の風情を垣間見せてくれています。
 基山町内の長崎街道には、「長崎街道」と記された石碑を見ることができます。長崎街道の場所を明示する石碑ですが、この石碑には隠された歴史が刻まれています。




 時は、近代化の道をひた走る明治の世。

 明治23(1890)年に小学校令が改正され、明治25(1892)年に基山村立基山尋常小学校と同園部尋常小学校が創立されます。その後、明治43(1910)年にこの二つの小学校が統合され基山村立基山尋常高等小学校が、現在の基山町立基山小学校の地に建てられます。
 この明治25(1892)年に創立された基山尋常小学校の建物の基礎石が、そう「長崎街道」の文字を刻む石碑なのです。

 立派な花崗岩をつかった基礎石で、木造建築であった校舎の写真も町内には残されています。現代の「長崎街道」を示す標柱石に刻まれた近代化の歩みを残す学校の歴史を、そこで学んだ子ども達の姿と重ねてみては如何でしょうか。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 06:57Comments(0)基山の文化遺産

2012年05月01日

はかた道

 小郡から博多までの道が、基山町を東西に横断するように通っていました。
 
 長崎街道・秋月街道が取りざたされる中、脇街道として小郡町から基山町そして那珂川町を通って博多へ出た道と言われています。
 行程も定かではありませんが、この季節、つつじで知られる大興善寺の駐車場入り口に「観世音」「はかた道」と記した道標が人知れず建っています。
■駐車場入り口に佇む道標








基山(きざん)南麓を通って博多へと出る道。どんな人々が、何を背負い行き来したのでしょうか。謎を秘めた「はかた道」への興味は尽きません。  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 22:08Comments(0)基山の文化遺産