2018年09月25日

■お祭り・行事を通してつながること

 お祭りや行事を通して時間を共有し顔見知りになることの利点は、計り知れません。個人主義を否定するものではありませんが、個人主義を貫いた結果、どのような社会になっていっているのかは、遅すぎますが振り返る時期にきていると思います。歴史を学ぶ意義は、未来の人々に「失敗」と思えることを正直に伝え、繰り返して欲しくないと願うことです。

 身近な問題で考えると、保育所・託児所問題を考えた時、大家族の不便さもありますが、家族が近くに暮らすことの利便性は、相互扶助を考えた時、結果として個々の家族の利を高めるのではないかと思います。自助・共助は、私たちの身のまわりで実践できることです。「いきなり公助」では、地方自治体は立ちゆきません。日本全国を営業圏とする企業ほど、地域扶助・相互扶助に目覚め、一部の管理職を除き、一般社員の広域異動は見直す時期にきているのではないかと思います。

 当会では、きやま創作劇を協働団体として支えています。そこに集う人々は多世代で多くの人々がつながっています。第1回基山小中学校合同創作劇での思い出として、顔見知りになった小学生と中学生の話を記しました。「知らない関係であったなら、たくさんの荷物を抱えて帰っている小学生を、中学生が助けることはなかった。でも劇で顔見知りになったから助けた。」と当時中学生だった彼が語ってくれています。
 きっかけは何であれ、顔見知りになることでつながる絆があります。


●たくさんの方々に支えられて「つながる」御神幸祭り

●今年もたくさんの方々にお越しいただきました。

●午後6時を越える頃、最後の演舞獅子舞が奉納されます。

●獅子組による〆、「い~おて、三度」
 今年も無事催行できた感謝を込めて、獅子組による「い~おて、三度」で〆られました。皆さんの口々に、「ありがとう」「また」と語られた姿に、祭りの原点を見た思いです。

 この絆が、相互扶助、お互い様へとつながり、みんなで考え動くことになっていくことにつながるのではないかと思います。「悩みは独り占めしない。」みんなで考えることができるのも、絆があるからだと思います。

※獅子組はこの〆の後、催行する集落を一軒一軒、獅子が回るのだそうです。


■10月は、基山のもう一つの秋の大祭、園部宝満神社の園部くんちが催行されます。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 07:27Comments(0)基山の文化遺産関連する文化遺産

2018年09月24日

■お祭りの形

 太宰府市内の新興団地では、相互のつながりを深めるとともに、子どもたちにふるさとを持って欲しいという願いから、子どもたちが団地内を「神輿」を担いで練り歩く夏祭りが、40年間続けられています。神輿には、通常、神様が乗られるのですが、この「神輿」には、地域神もどなたも乗られていません。「神輿」は、子どもたちが寄る「装置」としての役割が担わされ、その周りに大人たちが集い、祭りを形づくっています。

●『太宰府市文化遺産情報』1より抽出

 神様が居るからお祭りがあるのではなく、この団地の夏祭りは、集いたい、ふるさとの思い出を創って欲しいという思いからできています。
 神様のために行うのではなく、今を生きる人々のために集う祭り、お祭りの一つの姿を表現しています。

■みんなが集うおまつり

●7区の桜まつり【基山町】

●きのくに祭り【基山町】  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 08:03Comments(0)基山の文化遺産関連する文化遺産

2018年09月23日

■荒穂神社の秋の大祭

 本日、早朝、荒穂神社の秋の大祭 御神幸祭りが始まりました。

●出番を待つ道具たち

 早朝より本殿にて発御祭の儀式が行われ、獅子頭のお祓いの後、お仮殿までの御行幸の道である標として辻々に御幣が前もって置かれ、その辻々を清めるお潮井を撒く方々が、荒穂神社を後にします。

●お潮を入れ、御行幸の道を清める(お潮入れの手桶)

 ほどなく、各役目をこなす人々が参集し、午前6時から本殿前の広場で荒穂の神への奉納芸能が執り行われます。災払い→鉦風流→獅子舞→大名行列の順で奉納され、奉納が終わると各々の組は荒穂神社をお仮殿へむけて出立していきます。出立の結びとして午前7時に荒穂の神を乗せられた神輿が本殿を出立します。神輿を待ち構えていたかのように、境内に参集された方々、沿道の方々は、神輿くぐりを行われ、一年の無事への感謝と、これからの一年への無病息災を祈ります。

●本殿前での獅子組の奉納

●沿道に集まられた方々が神輿の下をくぐる

 約1時間をかけてのお下りは、お仮殿にて行われる着御祭の儀式の後、再度の奉納芸能が催行されると一旦終了します。

●お仮殿着御祭の儀

 正午からお上りへ向けた発御祭の儀式がお仮殿で行われます。
 さあ、午後1時からお上りへむけた奉納芸能が本番を迎えます。下は幼稚園年少のお子さんも演舞に参加しています。
 荒穂の神さまに元気な姿をお見せに御出でください。お仮殿で待っておられます。  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 11:10Comments(0)基山の文化遺産

2018年09月22日

■大祭を待つ

 明日、早朝から荒穂神社の秋の大祭 御神幸祭りが開催されます。
 前夜、午後8時頃には、座元に居られた荒穂の神さまが、荒穂神社本宮で催行される柴垣の座にて戻ってこられます。
 
 さあ、いよいよ大祭へと舞台は移っていきます。各地では、奉納芸能の最終調整が行われていました。

■子ども災払いの演舞練習が行われています【写真左】

 潮井川のしめ縄、お仮殿のしめ縄が、明日の催行を待っているかのようです。


■上:潮井川、下:お仮殿

 一年の感謝と、これらの無病息災を願って、大祭の幕開けです。  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 19:47Comments(0)基山の文化遺産

2018年09月22日

■お祭り

 荒穂神社の秋の大祭、御神幸祭り。多くの人々が、荒穂の神様の御行幸(みゆき)を支え、秋の実りと基山の民の一年の無事を確認されるためのお仮殿までの旅にお供します。

●秋の実りの中を御行幸される荒穂の神さま

 大祭当日は、荒穂の神様が乗られた神輿の下を、沿道に集われた方々がくぐられます。皆さん、何気なくくぐられていますが、恐らくは荒穂の神様が、神輿の上から一年の無事を確認されているのではないかと想像します。「お~っ、今年も来てくれたのですね~っ。」「んっ、あの方の姿が見えないが、どうされた?」と。



●集われた方々が、神輿の下をくぐる。

 荒穂の神様の思いは、想像するしかありませんが、確実に言えることは、荒穂神社の御神幸まつりを「支柱」として多くの方々が集っていることは間違いありません。荒穂の神様には、大変失礼なことだとは思いますが、一年に一度、秋の大祭を「寄り添う場」として、多くの方々が集い、語らい、時間を共有しているのだと思います。
 戦後の核家族化、地縁血縁からの離脱、「自由」の名の下に「離散」した人々の行く末は、糸が切れた凧のように誰ともつながらない自由を手に入れたかのように思いますが、結果、「誰でもよかった」という理由での殺人や孤独死という凄惨で悲惨な世の中になっていっています。
 お祭りは、地域扶助を相互に確認する場だと思います。多くの人々が「寄り添う場」としてのお祭りの意義が見えてきます。過日にも記しましたが、お祭りは続けなければならないモノではなく、人々が寄り添い、語り、笑い、時間を共有するためにあるモノです。一年、また一年を大切に繰り返していくことが必要なのだと思います。
 「あ~っ、元気やったね!」「また、会えたね」「また、一年後ね~っ!」と言える。これが、お祭りの真の役割ではないでしょうか。

 23日午前6時頃、荒穂の神様が荒穂神社を旅立ち、お仮殿へむけてお下りされます。皆さんの元気な姿を見ていただきに沿道へお越しください。荒穂の神様が、皆さんが来られるのを、お神輿に乗り待っておられます。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 17:50Comments(0)基山の文化遺産

2018年09月22日

■お祭りと政教分離

 各地の神社で催行されるお祭りに、自治会が関与することについて、政教分離に反するという意見を耳にします。誰が「政(政治組織)」で、誰が「教(宗教組織)」かを考えた時、荒穂神社の大祭を例にとると、大祭は、荒穂神社を主宰する氏子会が取り仕切り、氏子の人々によって支えられています。したがって、相互に宗教組織であることを考えると、政教分離には抵触しません。一方、荒穂神社の御神幸まつりを民俗芸能行事として地方公共団体である町役場が宣伝することは、一方の極としての「政」である町役場であることを考えると、政教分離に抵触するのでしょうか。

 この場合、昭和40年に争われた津地鎮祭訴訟の際、最高裁判決で明らかにされた「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるか否かをもって判断する。」という「目的効果基準」に照らした時、何を目的として宗教祭事である御神幸まつりを宣伝しているのかが、分岐点となります。
 現在、御神幸まつりは、基山の伝統芸能を保存継承する立場から地方公共団体である町役場も協力し、宣伝が行われています。これが仮に荒穂の神信仰を先導し、「国家」祭祀として位置づけ、個々人の思想信条までを統制していく手段とした場合は、政教分離の原則に大きく反しますが、氏子の人々によって支えられた様々な祭事を民俗行事として位置づけ、保存継承することを広く知っていただくことを目的として広報することは、この「目的効果基準」からして政教分離に該当しないと判断されます。

■奉納芸能(災払い)

■奉納芸能(鉦風流)

■奉納芸能(獅子舞)

■奉納芸能(大名行列)

 同じ様な行為として、国宝や重要文化財である寺社建築の保存修理に文化庁補助金が投じられていますが、これは政教分離に抵触しません。何故なら、寺社建築の技術や意匠、背景にある歴史としての宗教観念を記録し後世に伝えていくことを目的としているためで、国民の思想信条を統制するために特定寺社建築を保存修理しているのではないからなのです。

■熊本地震で倒壊した阿蘇神社社殿(国指定重要文化財)

■平成の大修理が終わった高良大社(国指定重要文化財)
(高良の神さまは、荒穂の神さまと力比べをした昔話が残されています。)

 政教分離とは何かを知った上で、議論を深めていく必要があります。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 06:56Comments(0)基山の文化遺産

2018年09月21日

■しおいがわ

 御神幸まつりのしめ縄が、「塩井川橋」のたもとに掛けられています。

■旧橋の銘板(「塩井川橋」と記されています。)

 これまでの報告で、「しおいがわ」を潮井川と記しました。この「しおいがわ」の「しお」には、塩(鹽)、潮、汐の字をあてることができます。どれが相応しいのでしょうか?

 「しお」には、場を清めるという意味があり、塩分を含むことで腐敗しにくくなることから、転じて清浄に保つ意味が与えられたと考えられます。そこから、海から採られた塩分を含むものを撒き、場を清浄に保つ行為が起こりました。
 本来、神事などで用いられる「しお」は、海の水からつくられた塩が用いられています。この海の水からつくられる塩は、古墳時代のむかしから製塩土器と呼ばれる器が物語るように、海水を煮詰め時間をかけてつくられる貴重なものでした。古代の大宰府でも宝満山の祭祀場や寺社で製塩土器が多く出土し、祭礼に欠かせないモノとして認識できます。

 塩をつくるには、相応の時間と技術を要するため、かつては海の水を、清浄を保つために撒いていたと考えられます。この、海から採られるモノとして、海水から次第に海からの距離や保存性を考慮し海砂に変容し、それらに対し潮、汐の字があてられていきます。この字の違いは、文字通り、朝採集する「しお」を潮、夕べに採集する「しお」を汐と表現しています。各地の神社拝殿にむかって右ないし左に台座が設けられ、その上に砂が置かれているのを見かけられると思います。これは「しおい」台と称され、場を清浄に保つために海砂などが置かれています。「しおい」の「い」には井の字が当てられ、「しお」を採る場を意味しています。基山町にある多くの神社では、海砂ではなく川砂が置かれています※1。本来は塩分を含む海砂が基本ですが、清浄さを保つことから、神聖な場で採られる砂へと意味が変容し、川砂へと転じたと考えられます。さらに基山東麓の丸林集落では、特別史跡基肄城跡南水門から流れ出る水を「潮」として採集し、各家々の周囲に災い除けとして毎日撒かれています。この南水門には住吉神社が祀られ、清浄さの意味を付加する役割を担っています。

 集落などが置かれた地理的な位置や、利便性、目的によって「しお」の意味が変化し、塩(鹽)、潮、汐の字があてられていきます。
 基山町の神社の多くは、朝、「しお」を採集することから、「潮井台」と記すものが多いのですが、JR基山駅周辺の木山口町にある若宮八幡神社には、夕べに「しお」を採集する「汐井台」と記されています。

■荒穂神社の潮井台(「奉納御潮」と書かれています。)

■木山口町の若宮八幡神社の汐井台
(「奉納御汐井台」と書かれています。)

 話を戻して、荒穂神社のしめ縄が掛けられている場にある「塩井川橋」は、昭和57年の荒穂神社大祭「座元控」には、「潮井川」として記され、氏子の方々には清めのしおを意味する「潮」の字が受け継がれ、潮井台に置く潮を採る場とされていることが分かります。


■座元控(昭和57年9月書)

※1 町内のいくつかの神社では、博多の筥崎宮へお潮を採りに行かれている所もあります。この場合は、海砂です。



■筥崎宮のお潮井場
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 20:58Comments(0)基山の文化遺産

2018年09月19日

■荒穂神社の御神幸まつり しめ縄

 去る17日(月)朝から、荒穂神社の秋の大祭である御神幸まつりにむけて、しめ縄つくりが行われました。一年前に刈り取り、氏子役員の皆さまに大変な手間をおかけし、丁寧な乾燥作業を経た後、今月11日(火)にわらすぐりで整えた稲藁を、この17日に集まった人々で「さしわら」と呼ばれるしめ縄の素材へと整えます。

●わらすぐりの作業

●さしわらつくりの様子

 このさしわらを素材にして、6人の男衆で、さしわら渡し役3名、しめ縄綯い役3名を一組とし、二組に分かれ、しめ縄に「打たれて」いきます。

●しめ縄打ちの様子

 今年は、多くの方々に集まっていただき、また若人もたくさん参加していただいたことは、嬉しい限りでした。今年から、ボランティアの方々にも参画していただき、100名近い方々により行われ、予定よりも1時間ほど早く、しめ縄打ちが終了し、午前中に昼食を済ませ、正午から潮井川と、お仮殿へのしめ縄掛けへと出向くことができました。

●潮井川橋のたもとに掛けられたしめ縄

●お仮殿に掛けられたしめ縄

 しめ縄打ちに関わる祭事を、いつもより1時間早く無事終えることができたのも、多くの方々にご参集いただけたからだと思います。
 二ヶ所のしめ縄掛けの後、午後4時から今年の座元宅にて、荒穂の神様が座元宅を舞台に、近隣の氏子たちの参詣を受けるため出向かれる神の座で御託宣の儀が執り行われています。

●8区の座元宅に掛けられたしめ縄

●御託宣の儀

 この日の祭事が全て終わると、無事を感謝し集った皆さんを慰労する直会が、4区公民館を会場に行われました。

●直会の場
(宮司様より荒穂神社の御祭神(瓊瓊杵尊様)について説明がありました。)

 これまでの一年の無病息災を感謝し、これからの一年の始まりに無事を願う秋の大祭・御神幸まつりの歴史的風致が、本祭が執り行われる23日まで基山の町を彩ります。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 20:11Comments(0)基山の文化遺産