2018年09月21日

■しおいがわ

 御神幸まつりのしめ縄が、「塩井川橋」のたもとに掛けられています。
■しおいがわ
■旧橋の銘板(「塩井川橋」と記されています。)

 これまでの報告で、「しおいがわ」を潮井川と記しました。この「しおいがわ」の「しお」には、塩(鹽)、潮、汐の字をあてることができます。どれが相応しいのでしょうか?

 「しお」には、場を清めるという意味があり、塩分を含むことで腐敗しにくくなることから、転じて清浄に保つ意味が与えられたと考えられます。そこから、海から採られた塩分を含むものを撒き、場を清浄に保つ行為が起こりました。
 本来、神事などで用いられる「しお」は、海の水からつくられた塩が用いられています。この海の水からつくられる塩は、古墳時代のむかしから製塩土器と呼ばれる器が物語るように、海水を煮詰め時間をかけてつくられる貴重なものでした。古代の大宰府でも宝満山の祭祀場や寺社で製塩土器が多く出土し、祭礼に欠かせないモノとして認識できます。

 塩をつくるには、相応の時間と技術を要するため、かつては海の水を、清浄を保つために撒いていたと考えられます。この、海から採られるモノとして、海水から次第に海からの距離や保存性を考慮し海砂に変容し、それらに対し潮、汐の字があてられていきます。この字の違いは、文字通り、朝採集する「しお」を潮、夕べに採集する「しお」を汐と表現しています。各地の神社拝殿にむかって右ないし左に台座が設けられ、その上に砂が置かれているのを見かけられると思います。これは「しおい」台と称され、場を清浄に保つために海砂などが置かれています。「しおい」の「い」には井の字が当てられ、「しお」を採る場を意味しています。基山町にある多くの神社では、海砂ではなく川砂が置かれています※1。本来は塩分を含む海砂が基本ですが、清浄さを保つことから、神聖な場で採られる砂へと意味が変容し、川砂へと転じたと考えられます。さらに基山東麓の丸林集落では、特別史跡基肄城跡南水門から流れ出る水を「潮」として採集し、各家々の周囲に災い除けとして毎日撒かれています。この南水門には住吉神社が祀られ、清浄さの意味を付加する役割を担っています。

 集落などが置かれた地理的な位置や、利便性、目的によって「しお」の意味が変化し、塩(鹽)、潮、汐の字があてられていきます。
 基山町の神社の多くは、朝、「しお」を採集することから、「潮井台」と記すものが多いのですが、JR基山駅周辺の木山口町にある若宮八幡神社には、夕べに「しお」を採集する「汐井台」と記されています。
■しおいがわ
■荒穂神社の潮井台(「奉納御潮」と書かれています。)
■しおいがわ
■木山口町の若宮八幡神社の汐井台
(「奉納御汐井台」と書かれています。)

 話を戻して、荒穂神社のしめ縄が掛けられている場にある「塩井川橋」は、昭和57年の荒穂神社大祭「座元控」には、「潮井川」として記され、氏子の方々には清めのしおを意味する「潮」の字が受け継がれ、潮井台に置く潮を採る場とされていることが分かります。
■しおいがわ
■しおいがわ
■座元控(昭和57年9月書)

※1 町内のいくつかの神社では、博多の筥崎宮へお潮を採りに行かれている所もあります。この場合は、海砂です。


■しおいがわ
■筥崎宮のお潮井場



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