2021年12月10日

■第5回きやま創作劇【予習編4】

二、秋光・実松物語

 第2回きやま創作劇で描いた「八ツ並の姫」と大きく関わる秋光・実松兄弟の話です。物語の内容は、劇にお任せするとして、劇中で語られる「太宰府の原山の僧」という件が出てきます。この「太宰府の原山」について少し説明をしておきましょう。

 「太宰府の原山」は、現在の太宰府市連歌屋2丁目あたり、太宰府天満宮の北西側の四王寺山の麓にあった「原山無量寺」のことを指し、通称「原八坊」と称されるようにいくつもの坊があったと云われています。

■第5回きやま創作劇【予習編4】
●原山無量寺の位置

 天台宗の寺で、創建は平安時代前期、9世紀中頃と伝えられ、奈良時代後半、8世紀の後半に起きた新羅呪詛を発願とした四王院(現在の四王寺山にあった寺院)の分院として開山したと伝えられています。この原山無量寺の僧によって菅原道真公を弔う葬儀が取り仕切られたことは、よく知られています。
 さらに延元元年(1336)には敗走してきた足利尊氏が武藤少弐頼尚に迎えられて入山した寺としても知られ、歴史上の人物たちと深く関わるお寺でした。
 この原山無量寺は、宝満山の麓に展開していた有智山寺と対宋貿易の利権を巡って度々争い、僧兵など武力を備えていたと云われています。
 しかし、その原山無量寺も、四王寺山の麓にあった寺院群がそうであったように、薩摩の島津勢によって起こされた岩屋城攻めの戦火によって多くが消失し、現在は住宅街の中に石碑が残されているだけです。
 その面影は現地に残されていませんが、江戸時代に描かれたとされる「原山無量寺古図」にその姿を見ることができます。
■第5回きやま創作劇【予習編4】 ■第5回きやま創作劇【予習編4】
現地に残る左)原山碑 右)原山中堂碑

■第5回きやま創作劇【予習編4】
●現在の原山無量寺跡の様子



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Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 06:47 │Comments(0)参画事業

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