2020年09月23日

■「町」と記された木山口町(その1)

 木山口町の起こりを知ることができる『元禄国絵図』や『村絵図』には、「村」と記される集落と「町」と記される集落の二者があることに気付きます。中には「赤坂」などどちらにも属さない集落を加えると三者あることになります。「町」に共通する点として長崎街道筋にあり、「正保二年(1645)以後ノ新町」と記されていることに共通点があります。一方、「村」と記された集落には、「正保二年以前ノ・・・」などの村の起こりや街道筋から離れた集落に記されていることが読み取れます。残された「赤坂」のように「村」とも「町」とも記されていない集落は長崎街道沿いに見ることができます。

■「町」と記された木山口町(その1)
■『元禄国絵図』『宮浦村絵図』:長崎県立対馬歴史民俗資料館蔵

 「町」と「村」の違いは何なのでしょうか?それを読み解く鍵として、今(現代)、それぞれの集落で執り行われている様々な行事、特に、料理を見ると、その違いのヒントを掴むことができます。
 お正月、お盆、日常など、一年の中でどのような料理が作られ食卓に出されているのかをみることで、「町」と「村」の違いを読み解くことができるのです。

 さぁ、皆さん、今、お住まいの団地、集落の人びとに聞き取りを行ってみてください(まずは、御家族の会話のネタに、ご家庭のお料理の作り方から観察・聞き取りをしてみては如何・・・?)。「お正月のお雑煮の出汁の取り方(鶏、飛魚、鰹・・)は?」「お雑煮のお餅の形(丸、四角)は?」「お盆の時に出す料理は?行事は?」。最も顕著に表現されるのは、お正月のお雑煮の出汁と具材、そしてお餅の形でしょう。
 みん~な、同じと思っている方、世間・社会を知らなさすぎです・・・!。(『ケンミンショー』を、ぼ~~っと観ていてはいけません!)

 家の個々で統一観の無い場所と、お隣も、そのお隣もみんな同じである場所の二つに分けられると思います。

 そう、家の個々で統一観の無い場所は、どんなところだったでしょうか?
 一方で、お隣もそのお隣も、皆同じだったところはどんなところだったでしょうか?・・・・・・・・・(つづく)



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Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 10:13 │Comments(0)基山の文化遺産

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